維新の党から分裂した国政政党で、地域政党「大阪維新の会」を母体とする「おおさか維新の会」が衆参両院の会派として正式にスタートしました。
3つの「維新」が鼎立するなかなかにわかりづらい自体ですが、注目したいのが英語名称問題。
橋下徹氏らが2010年に最初に立ち上げた地域政党である「大阪維新の会」はロゴには「Ishin」「One Osaka」(大阪府と大阪市の二重行政解消を目指していることを示している)などの英文を挿入していますが、メディア報道では"Osaka Restoration Party"や "Osaka Restoration Association"といった呼称を当てはめていました。これを母体に2012年に結党した国政政党「日本維新の会」でも踏襲され"Japan Restoration Association"、"Japan Restoration Party"といった訳語が使用されていました。ロゴにも"JAPAN RESTORATION PARTY"と書いてありました。
ところが、この"Restoration" という単語がひとクセあるのです。
「維新」という名称は、そもそも明治維新に対する憧憬からくるものでした。「幕末の日本で地方出身の若い下級士族たちが改革を成し遂げたように、この国のカタチをもう一度地方から作り直そう」というのが彼らの主張でありました。それゆえ、英称も明治維新の一般的英訳語である"Meiji Restoration"からそのまま拝借したのでありますが、この、歴史用語としての"Meiji Restorartion"、直訳すると「明治の復古」なのです。歴史上の重要事項が1868年の「王政復古の大号令」で天皇中心の新政府に政権が委譲したことであるための訳語でした。
現代日本政治の世界では元マッキンゼー・カンパニーの大前研一らが1992年に設立した政策提言集団「平成維新の会」が用いたのが代表例で(平成維新の会は新進党に多くの議員を輩出)、これ以降改革志向の政治家が「維新」という名称を用いた政治団体を立ち上げた例がいくつかあります。
そのために、"Japan Restoration Party"は、直訳すると「日本復古の党」となってしまいました。記事中の街頭アンケートでは、日本に定住する外国人のなかにも、「"restoration"といってもいつの時代に戻すのか」と不安がる声があがりました。
在京海外メディアも、橋下氏や共同代表を務めた石原慎太郎氏らの排外的発言や懐古趣味的発言などと相俟って日本維新の会のことを「極右的ナショナリスト政党」(WSJ)と紹介したことがありました。
みんなの党を離反した江田憲司氏らのグループが「結いの党」(英称はUnity Partyでした)を結成し、維新との連携を模索すると、維新党内でも石原氏らのグループとの軋轢が明確化します。結果、組織としての「日本維新の会」を一端解散し、石原氏や平沼氏らを中心とする「次世代の党」と、橋下氏や松野頼久氏らを中心とする「日本維新の会」を再度立ち上げ、後者と「結いの党」が合併することで新しく「維新の党」を発足させたのでした。この政党名称問題では結い側が新たな名称を求めたのに対し大阪側が譲歩せず、難航が続きました。結果、結い側がせめて英語名称だけでも変更をと迫り新しい英語名称は"Japan Innovation Party"となったのでした。結いの党は「改革勢力を結集」を旗印に結成された党であるため、「維新」という言葉が持つ「刷新する」「変革する」というニュアンスを伝える英語を探し、このカタチに落ち着いたのでした。
江田代表「維新の党、英語名も決めた。Japan Innovation Party。イノベーションは新陳代謝。政治の新陳代謝を促す。上意下達の古い政治モデル。地方創生と言いながらなぜ国が指図するのか。地方を知っているのは地方なのに。」 http://t.co/0GwWNkKzPk
— 柿沢未途(衆議院議員) (@310kakizawa) 2014, 9月 21
ところが、今度はその英語名称を提案した結いの党側グループや2012年に「日本維新の会」国会議員団を立ち上げた松野頼久代表らのグループと大阪維新側が対立し、ふたたび党を割ることに。名称の継承や資産の継承などあらゆる面で対立しましたが、両者一歩も譲らず。一時は大阪側が松野代表の代表解任は解党を宣言するまでになりましたが、大阪側が「本家」と称する新党(橋下氏や松井一郎府知事のほか、馬場伸幸氏ら橋下氏に近い大阪系議員、谷畑孝氏や片山虎之助氏らが参加)「おおさか維新の会」を立ち上げ。一方の執行部側も「選挙で維新の党という名前に付託をいただいた。4年間の任期は全うする責任がある。」などと名称の変更を拒み、「維新の党」と「おおさか維新の会」が並立する事態となりました。(実際には、この2010年からの間「大阪維新の会」は大阪府内の府議会・市町村議会における地域政党として活動しつづけていて、3者が鼎立する状況となりました。)
さて、訳語が悪いとしてわざわざ一度外したRestorationではバツが悪い、しかしInnovationは現存する維新の党側にもっていかれてしまった(そうでなくても大阪維新側のひとたちは「旧『結いの党』のひとたちが考えた名前」くらいに思っていると思います)、じゃあ新しい「おおさか維新の会」の英語名称はどうするのか、という局面ですが、ここで決着したのがまさかの
"Initiatives from Osaka" でした。
「おおさか維新の会」を英訳することをあきらめ、「大阪が国政のイニシアティブ(主導権)をとる」「大阪を副首都に」という命題を最前に持ってきたのでした。
日本の政党は一貫して対外的な情報発信力が弱いのが課題で、英語名称などをあまり重視していないために、ムチャクチャな英語名称がまかり通ってしまっています。
時期を同じくして、かつて日本維新の会で活動をともにした「次世代の党」が名称を「日本のこころを大切にする党」に変更する届け出をしました。
選択的夫婦別姓や外国人参政権導入などを批判するひとたちですから、いまの日本は日本のこころを大切にしていないと思ってらっしゃるようです。
しかし、名称変更の本質はそんなところではありません。
この次世代の党、先述の通り最初は日本維新の会のうち、旧たちあがれ日本(→太陽の党)の流れを汲み石原慎太郎氏に共鳴する議員や元杉並区長の山田宏氏、元横浜市長の中田宏氏ら大阪系と距離を置きたいグループ、旧日本維新党内でも石原氏に心酔する右翼的傾向の強い議員などからなっていたのですが、デビュー戦ともいえる2014年の衆院選で19人の現職を含む候補者のうち当選が平沼赳夫氏と園田博之氏の2名のみという大惨敗を喫し、規模を縮小してきました。その後もアントニオ猪木が離党して新党「日本を元気にする会」の結成に参加、平沼氏と園田氏が自民党に復党、党改革に奔走するも党首選で敗れた松沢成文氏が離党するなどして現有勢力をじわじわと縮小していき、党名変更に際しては党顧問を務めていた元PHP総研所長でみんなの党でも最高顧問を務めていた江口克彦氏が離党(江口氏は「おおさか維新の会」に参加)し、2015年末現在は中山恭子代表、中野正志幹事長、和田政宗政調会長、浜田和幸議員総会長という参議院議員4人の小規模勢力となっています。
たちあがれ日本は自民党低迷期にご老体方が「若者よもっとがんばれ」と叱咤激励する意味でつくった党だったのですが、中には年齢制限の厳格化で党の公認を受けられずに自民党を出てきたような方もいらっしゃり、そうした方々が次々と落選し、石原氏も引退し、たち日結党以来の重要人物であった平沼園田両氏が自民党に復党したことで党の存在意義というのはほとんどなくなってしまいました。
中山恭子氏は中山成彬氏の妻で、民間人から登用されて内閣官房参与を務め、拉致被害者家族らの対応に尽力したのちに乞われて2007年の参院選比例区に自民党から立候補して初当選。夫成彬氏が自身の落選を教育問題に転嫁した日教組批判などの舌禍で自民党の公認が得られなくなったために「夫を助けるため」として自民党を離党して夫婦でたちあがれ日本に参加しました。つまり自分ひとりだったら自民党を辞めなくてもよかったし、逆に言えばいつ政治家を辞めてもよかった人物なんですね。
中野正志氏はかつて自民党で衆院議員を3期務めましたが2009年以降落選浪人、その後たちあがれ日本の結成に呼応して参加して以来、石原氏や平沼氏と行動を共にしてきました。
和田政宗氏はみんなの党解党に際して入党。みんなの党時代から「自主憲法研究会」「帆立の会」といったグループでのちに次世代の党を結成するグループと親密に行動していました。
浜田和幸氏は自民党で鳥取選挙区から当選後民主党政権下で外務政務官に就任、自民党を除名され国民新党に参加し、凋落する党の終焉を見届けました。無所属で新党改革と会派を組んで活動していましたが14年の衆院選を前に入党してきた人物です。
こうして参加した理由も時期もバラバラな4人がなんとなく集まっている党ですが、この「日本のこころを大切にする党」という名称にはほとんど意味がなくて、図々しくも略称を「日本」と定めたことのほうにこそ彼らの意図が見えます。
改称を発表する記者会見での中野氏の発言「次世代の党名は国民に受け入れられず、衆院選や地方選で勝てなかった」とあります。衆院選や地方選での惨敗の理由を党名に求めるのがそもそも間違ってますが、じゃあなぜそこそこ浸透してきたはずの党名を今更変えてしまうのか、略称を「日本」にすれば「日本のこころを大切にする党」のことなんか知らなくても「日本」と書かれた票のおこぼれをもらうことができるからです。加えて元みんなの党の松田公太氏らのグループが「日本を元気にする会」(略称:元気)という名称の政党を立ち上げています。彼らに投票するつもりで「日本」とだけ書いてしまうひともいるかもしれません。
まあしかし、そんな姑息な策を全部足したって議員ひとりを当選させるほどの集票力はないに決まっています。苦肉の策としか言いようがありませんよね。
ちなみに、この「日本のこころを大切にする党」、英語名称は"Party for Japanese Kokoro"と決まりました。通常Partyの前に修飾語がくるか、前置詞を使うなら of を用いますが、前身である次世代の党が「次世代のための党」であるとして"Party for Future Generation"だったのを踏襲したのでしょう。「こころ」は語感を大切にしてあえて英訳しなかったのだと思いますが、誰向けの英訳なんでしょう?絶対に発信する気ないですよね?
英語での政党名称一覧は衆参両院のウェブサイトの英語版ページで会派勢力を参照するとわかりやすいです。
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