今年2013年11月6日(水)に発表された明治大学のプレスリリース
「本学のスポーツパーク(仮称)事業計画について」
http://www.meiji.ac.jp/koho/news/2013/6t5h7p00000gekq0-att/6t5h7p00000gekqh.pdf
において、日野市程久保の多摩テック跡地で明大が整備予定だったスポーツパーク事業計画が「大幅な事業計画の変更を迫られ、現時点において、当初予定していた目的が達成できないと判断していました。」と、事実上の建設中止とみられる発表を行いました。三菱商事が買い取った土地に広大なスポーツグラウンドを整備し、さらにスポーツ科学部を設置して、近隣住民との交流の場も兼ねた一大スポーツ施設にしようとしていたこの計画。明大側の一方的な経営判断による中止に地元や自治体からは不満の声があがっています。
明治大学(千代田区)が大手商社「三菱商事」(同)と共同で進めていた日野市程久保の自動車遊園地の跡地を活用した同大「スポーツパーク」の建設計画を巡り、同大の日高憲三理事長が6日、大坪冬彦・日野市長を訪ね、同計画の中止を明らかにした。日高理事長は、「東日本大震災以降、工事費が値上がりしているため」と説明したが、同市は「一方的だ」として、事業の継続を求めた。
同大や同市によると、計画では、2009年9月に閉園した自動車遊園地「多摩テック」跡地など約20ヘクタールを三菱商事が買い取り、ラグビー部などが利用するグラウンド5面や体育館、合宿所などを整備した「(仮称)明治大学スポーツパーク」として活用する予定だった。一部施設が老朽化する八幡山グラウンド(世田谷区)などの機能を移転させるのが狙いで、14年2月の完成を目指していた。
しかし、東日本大震災以降、同パーク建設に伴う人件費や材料費が高騰。計画当初見積もっていた建設費は約1・7倍に膨らみ、計画の中止を決定。10月中旬には、同グラウンドの跡地利用を視野に入れ、都市計画の変更手続きを進めていた世田谷区に対して、作業を中断するよう求めていた。
一方、同市では、11年12月に、同大と覚書を締結するなど同パーク建設に向けて準備を進めていた。ところが、今年6月以降、手続きが遅れ始め、計画中止が検討されていることが分かったため、10月28日に、大坪市長名で、同大に対し、事業の続行を求める抗議文を提出していた。
同大広報課は、「地域の方々とスポーツを通じた交流も検討していたが、経営判断で計画を中止せざるを得なかった」とし、三菱商事広報部では、「今後の対応については、明治大学や日野市と協議を進めていきたい」としている。
「計画は、都などとも協議を重ねてきたもので、中止には納得できない」。同市の石本弘一郎・まちづくり部長は、日高理事長の訪問後、記者会見を開き、同大への不満をあらわにした。「地元住民の期待を裏切るもので、到底、容認できない」と厳しく非難した。
突然の計画中止に、市民からは驚きの声が上がった。建設予定地周辺に住む主婦(45)は、「市民への施設開放などを楽しみにしていたのに残念。工事が進んでいる様子がなかったのでおかしいと思っていた」と語り、木場本弘治さん(72)は「自然豊かな土地が、今後どうなるのか気がかりだ」と話していた。
明治大学が日野市程久保に計画した総合運動施設の建設中止が波紋を広げている。建設予定地は二〇〇九年秋に閉園したホンダ系列の遊園地「多摩テック」の跡地。広大な跡地の有効利用を期待していた市はショックを隠せない。市まちづくり部の石本弘一郎部長らは六日、急きょ会見し「中止は一方的で受け入れられない。社会的な責任を考えてほしい」と大学を非難した。 (福岡範行)
市によると、明大から建設中止を伝えられたのは、この日の午前。大学の日高憲三理事長らが市役所を訪れ、大坪冬彦市長に大学の決定を報告。大坪市長は中止を非難し、事業継続を要望した。
大学と市は一一年十二月、総合運動施設「明治大学スポーツパーク」の建設に向け、自然環境を保全し、施設を市民に開放するなど地域に貢献するといった方針を覚書で確認した。市の都市計画決定前から、大学は住民への事業説明会を重ね、今年五月に都自然保護条例の審査も終了。
ところが大学はその後、最終的な都の開発許可を申請しようとせず、市が理由の説明を求めていた。
会見で市都市計画課の岡田正和課長は「信頼できる開発事業者が来てくれたと歓迎し、周辺住民も期待していた。中止は納得できない」と語気を強めた。
大学広報課の担当者は本紙の取材に「何としても日野市内で事業を推進したいと思っていたが、事業費の高騰が見込まれ、経営判断で中止を決めた」と説明。日野市の地元住民に対する説明会の開催は未定だが、「説明の必要性は認識している。誠意ある対応をしたい」と述べた。
(東京新聞 - 「スポーツパーク」建設中止 「社会的責任考えて」日野市が明治大を非難)
2008年に国際日本学部設立、2013年には駿河台校舎に新大学院棟、中野の旧警察大学校跡地に国際日本学部と新設の総合数理学部などの入居した中野新キャンパスをオープンさせるなど、志願者増加を背景に急速な拡大をつづけていた明治大学。いっぽうで今年の六大学野球で優勝、全日本大学駅伝でも3位に入賞するなど、スポーツでも大きな功績を積み上げている。
スポーツ界での活躍で培った好イメージを入学者増にもつなげたかったのだろう。
当然意識していたのは積年のライバル早稲田大学のスポーツ科学部。90年代以降、帝京大学や東洋大学、立命館大学など、ほかのスポーツ強豪校もスポーツ学部設立が相次いだ。しかし明大は一種意地のようにスポーツ学部の設立を拒み、スポーツ推薦入学者は商学部や政経学部、理工学部など既存学部に分散して入学し、学業面でも積極的なサポート体制のもと、苦慮しつつも他学生と体育会系学生の宥和を進めてきた。体育会系学生がほかの学生といっしょに授業をうけ、いっしょに単位をとり、おなじように就活して卒業させるというのが大学の基本方針だったはずだ。
2011年12月の大学のプレスリリースでも「スポーツ科学部(仮称)の展望」と題してスポーツ科学部の具体的構想についてふれている。そこから見えるのは優秀なスポーツ学生を集めつつ、競技指導や健康管理のほか、生命科学やスポーツ管理栄養学、スポーツ整体などを含めた包括的なスポーツ関連研究の集約拠点にするという、早大など他大学のスポーツ科学部と同様のコンセプトだ。
http://www.meiji.ac.jp/gakucho/activity/2011/6t5h7p000008xjx9.html
しかしながら、明治にスポーツ学部は似合わないと思うし、早稲田の持ってるものを何でも「隣の芝は青い」で欲しがる発想そのものがさもしい。当の早大で学科受験で入ってきた一般生や非スポーツ推薦の内部進学生が駅伝や野球で活躍してるなかで、もともと体育会を優遇しつつ一般学生との宥和にも苦慮しつつ成功してきた明大が、体育会系学生を隔離していいことなどひとつもない。
いっぽうでスポーツ科学系の先進研究をとりいれて実践の場に投入しようという意図も、理工学部の生命科学科や大学院教養デザイン研究科など既存の学部や研究科で充分対応可能なはず。もはやレッドオーシャン市場となったスポーツ学部に新規参入する新学部設立の意義は小さい。
こうした劇的な方針転換の裏には、少子化・大学全入時代のなかで志願者が増加する明大が、今後も入学者を確保するために経営規模拡大に向かっている背景があるようだ。つまり、明大など各大学は、18歳人口が減少していくからこそ学部増やしてる。実際には増やすという古い学部を集約して真新しいテーマの学部にシフトしていくことで志願者の関心を引き付けているのである。これから小さい大学は少しづつつぶれて経営体力のあるマンモス校ばかりの時代へと入っていくのではないだろうか。
こうしたマンモス校にも、短期的な経営状況や経済環境に大きく左右されるような短絡的な経営計画をたてずに、先を見据えた事業計画を立案、実行してほしいところです。
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